代々住職に伝わる口伝

年末にもなると一斉にテレビ等で放映される赤穂浪士討ち入りの『忠臣蔵』
主君を思う家来が仇討ちと称して吉良上野介宅への討ち入り、忠義を果たす有名なドラマ。この寺には関係する口伝が残っている。
赤穂浪士四十七士が吉良上野介を討ち取り、その首を持ちまず立ち寄ったのがこの上行寺であった。当時、徳川幕府との繋がりが強かった寺であるために、時の住職は立ち寄りを強く拒み、帰してしまった。行き所の無くなった赤穂浪士たちは、海辺の方へと歩みを進め、そこにあった泉岳寺へと行ったのである。
当時上行寺は、現在の港区高輪二本榎に伽藍があり、そこは旧東海道に面して吉良邸の帰り道に寺はあった。時の住職が断らなければ四十七士の墓は、ここ上行寺にあったに違いない。
しかしこの話には、裏付けする文献等は当寺には無く、口伝のみ伝承するのみになっています。